平賀源内先生は高松藩の家臣としてとしての仕事に毎日追われるばかりでは……
平賀源内先生は高松藩の家臣としてとしての仕事に毎日追われるばかりでは……
本来やりたかった学問に集中することができない……というのも源内先生は、日本史上でも数少ない天才、または奇才の人 と称され、本草学者、蘭学者、(医者)、作家、発明家、画家(蘭画家)でもあり、また源内焼きなどの焼き物を作成したりと、多彩な分野で、その溢れる才能 を発揮しておりました。
松平藩にその才能を買われ再雇用されましたが源内先生はさらに学問に集中したいと望むようになりました。その為に……
どうしても学問をやりたくて2度も辞職願いを藩に出します。
しかし、その結果、一生浪人としてすごさなければならなくなってしまいました。
松平藩を辞職した後の源内先生は、まさに水を得た魚のように大躍進していきます。 博覧会の開催を提案し、江戸湯島で日本初の博覧会「東都薬品会」が開催されました (1757年)
薬品会の出品2,000余種の中から360種を選びそれぞれの和漢名、紅毛名、形状や性質など説明・解説した書物「物類品隲(ぶつるいひんしつ)」全6巻を宝暦13年(1763)に刊行しました。 物類品隲(ぶつるいひんしつ)というのは、平賀源内先生が宝暦7年(1757)~宝暦12年(1763)に計5回開かれた薬品会の出品解説書です。 産物を分類し、品定めをするという意味です。
では、ここで問題です。
この物類品隲(ぶつるいひんしつ)の付録には、現在でも私達がよく使う調味料の栽培法及び製造法が書かれています。 讃岐三白のひとつであるその調味料とは何でしょう?
ヒント: ひらがな3文字でお答え下さい。
※答えは本ページの下にあります。
答え:さとう