源内さんの船出(地図番号12)
この場所に1754年から幕末(ばくまつ)までの114年間、船番所(ふなばんしょ)が置かれていました。江戸に向かう源内さんも、ここから希望に胸を膨(ふく)らませて出発したことでしょう。
1756年に、この船番所から、俳人の仲間「渡辺桃源(わたなべとうげん)」、「安芸文江(あきぶんこう)」とともに有馬温泉へむかっています。
江戸に向かう源内を送りがてらの旅で、『有馬紀行(ありまきこう)』として42首の旅の思い出を残しています。
その時、源内28歳。26歳で妹「里与(りよ)」に養子をとり家督(かとく)を譲(ゆず)り、27歳では、距離を測(はか)る量程器(りょていき)と磁針器(じしんき)を作り、二人の心配をよそに江戸で勉強できる希望に胸をふくらませていた船出だったようです。
有馬温泉で詠(よ)んだ句には、既に世界を意識していることがうかがえます。
「古郷(ふるさとを)を 磁石(じしゃく)に探(さぐ)る 霞(かすみ)かな」
「湯上(ゆあが)りや 世界の夏の 先走(さきばし)り」
※「渡辺桃源(わたなべとうげん)」 志度(しど)の俳人(はいじん)。源内の俳諧(はいかい)の先輩。
※「安芸文江(あきぶんこう)」 津田(つだ)の俳人(はいじん)。元禄時代(げんろくじだい)からの地方の豪商(ごうしょう)
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