文士源内さん(地図番号16)
文士源内さん
源内さんが「風来山人」というペンネームで初めて手掛けた長編戯作(文芸小説)『根南志具佐』五巻には、閻魔大王が登場します。これは、江戸で志度寺の閻魔様への想いを寄せて書かれたと思われ、題名にも「根は南の志度」の文字が使われています。
この他、志度寺には源内さんの俳諧の師である椎本(甘泉庵)芳室の文塚と渡辺(三千舎)桃源の松風塚が薬師堂南側に並び立っています。
「椎本(しいのもと)芳室(ほうしつ)翁(おう)文(ふみ)塚(づか)」は椎本二世と言われる芳室が延享四年(一七四七)死去した際、東讃の門人達が師を偲び建立したもので、毎年命日には弟子たちが集まり追悼句会を開いていたようです。
宝暦四年(一七五四)源内は志度のリーダー桃源と共に、「椎本芳室翁文塚奉納(ほうのう)発句(ほっく)二万唫(にまんぎん)集」の願主として、広く京、大坂、伊丹、阿州などにも応募を求める題刷物(広告)を発行しています。 また志度寺には、源内のあと平賀家の家督を継いだ二代目「権(ごん)太夫(だゆう)周(あまね)」、その妻で源内の妹「里(り)与(よ)」の夫婦墓、三代目「茂左衛門良隆」夫婦、四代目「松三郎良一」夫婦の墓があります。また権太夫の実の父「岡田重五郎元隆」、母「阿摂」の墓も建てられています
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